短文
問題一
以下は、ある会社の海外駐在員が受け取ったメールである。
ムンバイ工場主任
高城洋二様
お世話になっております。本社秘書課の横山です。
来月の副社長出張のスケジュールに関して、以下変更のご連絡です。
8月8日(月)にムンバイ工場視察の予定でしたが、本社にて会議が入り、副社長のムンバイ到着は9日 (火) 22 時となる見込みです。お手数をおかけしますが、視察日程の調整を翌日以降でお願いいたします。また視察後に予定していた、ムンバイ日本商工会会長の竹内様との面談の調整もお願いいたします。なお、ムンバイ出発は8月12日(金)で変更ありません。
以上、よろしくお願いいたします。
秘書課
横山陽一
- 手数をおかけします:「お手数をおかけしますが」は「手間をかけてしまいますが」という意味で、相手に依頼する際に、手間をかけて申し訳ない気持ちと協力への感謝の気持ちを伝えることができます。
問題二
「自分は間違ってない」と思うことから始まる怒りは、妥当な怒りです。少しも後ろめたくありません。
むしろ、「間違ってない」と思いながら怒りをごまかしてしまったときのほうが後味は悪いのです。「なんで怒らなかったんだろう」という後悔は、惨めな気持ちになって長く続きます。
怒りを抑えてばかりいると、この惨めな気持ちにも慣れてしまいます。敗北感に慣らされてしまうのです。わたしはこれがいちばん怖いと思っています。
- 後ろめたい:良心に恥じる気持ちや、良心に恥じるところがあって、他人や相手に対してなんとなく気がとがめるという意味を伴う。
- 後味:食べたあとに残る味。また比喩的に用いて、物事がすんでからの感じ。
- 惨め:情けないこと
問題三
引っ越しというのは、誰にとっても面倒だが、いい面もあるだろう。すなわち、これまでの生活を振り返り、今後望むような生活を思い描きながら、そのために不要なものをどんどん処分する機会である、と。そういう意味では、引っ越しは日常生活を更生させるよいきっかけでもあるはずだ。
私はいつもそのきっかけを活かしたいと思いながらも、なかなか実行するに至らない。むしろ何十年も、まるで亀のごとく重い物を背負いながら転々としてきたわけである。
(マイク・モラスキー日本経済新聞 2014 年 3 月 25 日付夕刊による)
- 更生:生きかえること。
- まるで〜のごとく:まるで~のように
- 転々:一定の場所に長い間留まることなく各地を移動すること、またはあてもなくふらふらと彷徨うことなどを意味する表現。
問題四
いま人間の欲望がいろいろと問題になっているのは、それが余りにも脹みすぎて、欲望の充足それ自体が目的と化し、本来の意味、つまり私たちの必要を満たし、私たちに心身の安定とやすらぎ(幸福)をもたらす範囲を遥かに逸脱してしまったことにある。
私たちの多くはこの過度に肥大した欲望ゆえに、日々を楽しく過せるどころか、絶えざる欲求不満に苛まれるという不幸な状態に陥っている。
(鈴木孝夫「人にはどれだけの物が必要か―ミニマム生活のすすめ」による)
- 脹む:物が内側から盛り上がって大きくなる
- 化す:形や性質が変わって別のものとなる。
- 絶えざる:絶えずに続くさまが糸のようであるという意から
- 苛む:苦しめる。いじめる。
中文
問題一
いつでも帰ってこられる場所があると思っていられるのは、ずいぶんと心強いことだと思うんです。別に帰ってこなくてもいい。「帰れるところがある」と思っている人と、そんな場所がない人では、人生の選択肢の数が違う。当たり前ですけれど、「退路のある」人の方が発想がずっと自由になれる。ずっと冒険的になれる。
親子関係も同じじゃないかと思います。10 年ほど前に高校を卒業した娘が東京へ行くときに、ぼくが娘に言ったのは二つだけです。「金なら貸すぞ」と「困ったらいつでも帰っておいで」。親が子どもに向かって言ってあげられる言葉はこれに尽きるん(注 1)じゃないでしょうか。泊まるところがなかったら、いつだって君のためのご飯とベッドは用意してあるよ。この言葉だけは親はどんなことがあっても意地でも言い続けないといけないと思うんです。「そんなに甘やかすと自立の妨げになる」と苦言を言う人もいますけれど、ぼくはそれは違うと思う。
「人間は弱い」というのがぼくの人間観の根本なんです。だから、最優先の仕事はどうやってその弱い人間を慰め、癒し、支援する場を安定的に確保するか、です。
(中略)
家は、メンバーのポテンシャル(注 2)を高めたり、競争に勝つために鍛えたりするための場じゃない。そういう機会なら家の外にいくらでもある。家というのは、外に出て、傷つき、力尽き、壊れてしまったメンバーがその傷を癒して、また外へ出て行く元気を回復するための備えの場であるべきだどぼくは思っています。
(内田樹「ぼくの住まい論」による)
(注 1) これに尽きる:これしかない
(注 2) ポテンシャル:ここでは、可能性
- 心強い:頼りになるものがあって安心である。
- 意地でも:行きがかり上、無理にでも。
- 苦言:言われる人にとってはいい気はしないが、その人のためにあえて言う忠告。
問題二
何であれ、一個の製品を完璧に仕上げるのに要求される技能は、たいへんなものです。そんな芸当(注 1)が可能な職人の数は限られていることでしょう。作り出せる製品の数も、自然と限られてきます。ところが、作業工程を細分化してみますと、個々の工程は意外に単純だったりします。より単純な、一つひとつの工程であれば、きちんとこなせる職人の数は、製品をまるごと作れる職人の数に比べて、ずっと多くなるでしょう。また、未熟練だった職人が腕を上げる(注 2)のも、より単純な一工程に限定しての話であれば、ずっと容易です。作業の細分化と役割分担、つまり分業化は、確かに生産性を向上させるものなのです。
一個の経済に属するということは、その経済に属する他の人たちと分業関係を取り結ぶことを意味します。あなたの仕事も、同じ日本に住んでいる面識もない誰かの仕事も、同じ分業の網の目に属しているのです。今では分業関係は世界全体に広がっていますから、あなたがした仕事が、地球の裏側にいる誰かのした仕事と組み合わされているということも、ざらにあります。そして、分業の網の目が全世界に広がり、たとえば一個の工業製品を生産するために、構想からデザイン、原型の製作、部品の製造、組み立てといったさまざまな作業が全世界に広がっている現代は、確かに人類史上最も豊かな時代なのです。
(徳川家広「自分を守る経済学」による)
(注 1)芸当:普通の人にはまねのできない技
(注 2)腕を上げる:技術を上達させる
- 未:接頭語的に用いて、まだ…していない、まだ…でない意を添える。
- 熟練:物事に慣れて、手際よくじょうずにできること。
- 生産性:生産過程に投入される生産要素が生産物の産出に貢献する程度。(生产率)
- 取り結ぶ:約束などをかたく結ぶ。
- 面識:お互いに顔を見知っていること。
- 網の目:網の糸と糸とのすきまの部分。あみめ。
- ざらにある:べつに珍しくも何ともない、むしろありふれていると言えるさまを指す言い方。
問題三
以下は、長年インタビューを仕事にしている人が書いた文章である。
何かと取材しつくされたような今の時代にも、乗った電車で横に座った、ぐらいの近くにいる普通の人たちの辿った過去、精神的な道のりを取材することには可能性が残されている。これは幸福な感触だった。普通の人に対して、話題の人物と同じような方法でなるべく丁寧に話をうかがってみたけれど、(そのうちの一部分は、これはある職業における普通の人たちへのインタビューとして、昨年発表した拙著「善き書店員」という本にまとめた。)特殊な人物の発言よりむしろそんな普通の人たちの実感こそ、数十年後に振り返れば時代の証言にも聞こえるのではと思うようになっていった。有意義な取材が開拓されきったような空白の時代に、特別で極端な物語はもういいやという状況で隙間を見つけようとして、そこら辺にごろんと転がっている声の実りにたまたま気づかされたわけだ。
過去は、文句の言えない形で「これだ」と見せられるようなものではない。映像などで記録されていてさえ、人物の内面で起きた心の大事件みたいなものは捉えられなかったりもする。解釈は変化するから、同じ出来事への同じ人物の談話も十年前と今でかなり異なることもよくあり、つまり過去は人物の内面で揺れ動き続けていて、形を持たない怪物のようでもある。過去の解釈は、本人が切実に感じているからこそ人生に陰影を与えるため、主観の記憶の何が真実かさえも重要ではない場面がある。有名無名を問わず、さまざまな方に取材で話をうかがううちに、この過去という確固たる形を持たず動き続ける怪物にこそ人間は振り回されたり、あるいは歩き続けていくための滋養(注)をもらったりするようだな、と思うようになっていった。
(木村俊介「暮しの手帖」2014 年 6-7 月号による)
(注)滋養:ここでは、力
- ~尽くす:すっかり…する。
- 道のり:目的地までの距離。行程。
- 実り:物事の成果があがること。
- 揺れ動く:絶えず動揺し、変化する。
- 陰影:転じて、平板でなく深みのあること。ニュアンス。
- 振り回す:人を思うままに動かす。
統合理解
A
企業のような組織では、上下関係、年齢、性別などのさまざまな要因により、普段からメンバー全員がフラットに(注1)話し合える雰囲気がない場合も少なくありません。さらに、会議の場になると、誰かに対する遠慮や、ライバル心などが作用して、メンバーからまったく発言が出なかったり、話が平行線のまますり合わない、などといったことが起こってしまいます。
こうした状況を活性化させて、メンバー全員でアイデアを出していくために重要なのが、チームリーダーからメンバーへ質問をすることです。
チームリーダーという立場になると、ついつい、自分の考えや答えを、メンバーに提示してしまいがちですが、そうやって出た結論は得てして(注 2)予定調和(注3)になりがちです。
チームで創造的なアイデアを出していくためには、メンバーの内側にあるものを引き出すことが重要であり、そのきっかけを与えるのが「質問」なのです。
(博報堂ブランドデザイン「チームのアイデア力―アイデアが出るチームになるための 5 つのステップ」による)
B
組織の力を生かすには、メンバー同士の積極的な意見交換が欠かせない。しかし再三会議は行われるものの、役職や人間関係を気にしすぎて積極的な議論にならず、生産性がないという声も聞かれる。こうした状況を打開するために、リーダーは会議でどうすべきか。
まずリーダーが自身の明確なビジョンをメンバーに提示し、それについて広く意見を求めることが大切だ。目標がはっきり定まっていて、それに向けて具体的方策を練るという議論ならば、メンバーも発言しやすい。また、さまざまな方向性の意見が出て一つの結論へ収束させられないという非効率な事態も避けられる。リーダーは、目指すべき方向を示し、メンバーと議論を深めていける場を作ることが重要だ。
(注 1) フラットに:ここでは、対等に
(注 2)得てして:ともすれば
(注 3) 予定調和:ここでは、無難なもの
- 再三:二度も三度も。何度も。たびたび。
- ビジョン:将来の構想。展望。また、将来を見通す力
- ともすれば:「もしかすると、場合によっては、しばしばそうなる傾向がある様子」など可能性を含む言葉です。 「~、ともすると、~」といったように前述したことに対し、後述の可能性を示唆する表現になります。
長文
内容理解
視覚や聴覚などの情報処理においては、脳の働きの個人差は比較的少ない。丸いものを提示すれば、脳はそれを丸いものとして認識する。丸いものを提示した時に、それを「丸」と認識する人と「三角」と認識する人が相半ばする(注 1)ということはあり得ない。同様に、あるピッチの音を聴いた時に、その情報処理に個人差はあまり見られない。
その一方で、ある事象に対する感情の反応においては、個人によるばらつきが大きくなるのが通例(注 2)である。同じものを前にしても、全ての人がそれを好きだと感じたり、逆に全ての人がそれを嫌いだと思うとは限らない。ある人が好きだと感じるものを、別の人が嫌いだと思うのはごく普通のことである。感情においては、脳の反応に大きな個人差が見られるのである。
そもそも、感情の働きとは何であろうか?ひと昔前には、感情とはある特定の刺激に対する類型的な(注 3)反応であると考えられてきた。大脳新皮質(注 4)が担っている理性の働きが環境の変化に応じて柔軟な情報処理を行うのに対して、「爬虫類の脳」とも呼ばれる古い脳の部位が重要な役割を担う感情は、一定の決まり切った反応をするものと思われていたのである。
しかし、近年の脳科学の発達により、感情は、むしろ生きる上で避けることのできない不確実性に対する適応戦略であることが明らかになってきた。理性では割り切れない、結果がどうなるかわからないような生の状況において、それでも判断し、決断することを支えるための情報処理のメカニズムとして、感情は存在していると考えられるに至ったのである。
(中略)
感情が不確実性に対する適応であると考えると、その反応において個人差が生じるのは自然なことである。不確実な状況の下では、とるべき選択肢の「正解」は一つとは限らないからである。
さまざまな人々が異なる戦略をとり、全体としてバラエティが増したほうが、人間という生物種全体としては、むしろ適応的である。生死にかかわるような状況においては、たとえ、ある選択をした人が不幸にして死んでしまったとしても、別の選択をした人が生きのびれば生物種としては存続できるからである。全体が同じ選択肢を選んでしまっては、環境の変化や予想のできない事態に対して脆弱になって(注 5)しまう。
他人が異なる感情の反応を見せることを許容することの倫理的基礎は、まさにこの点にある。他人が自分と異なる感情の中にあることに反発するのは自然な心の動きであるが、とらわれて(注 6)はいけない。自他の差異に対して許容的であることが、すぐれて生命哲学上の原理にかなっているのである。
(茂木健一郎「疾走する精神」による)
(注 1) 相半ばする:同じくらいである
(注 2) 通例:一般的
(注 3) 類型的な:型どおりの
(注 4) 大脳新皮質:脳の一部分
(注 5) 脆弱になる:もろくて弱くなる
(注 6) とらわれる:ここでは、ある考えに縛られる
- ピッチ:音の高さ。高低の度合い。
- 事象:ある事情のもとで、表面に現れた事柄。現実の出来事。現象。
- ばらつき:一様でないこと。ふぞろいであること。あるいは、測定した数値などが不規則に分布すること。
- 一昔:もう昔のことになったと感じられるほどの過去。
- 決まり切った:当然のことになっている。言うまでもなくはっきりしている。
- 割り切れる:納得がいって気持ちがすっきりする。多く、打消しの語を伴って用いられる。
- メカニズム:仕組み。
- バラエティ:変化。多様性。
- 反発:他人の言動などを受け入れないで、強く否定すること。また、その気持ち。
- すぐれて:特別に。
- 適う:あてはまる、うまく合う。
主張理解
わたしは、暮らしや家族の中にある科学をテーマにして、雑誌に記事を書くことがあります。料理の科学、生活の中にある器具のしくみなどを取りあげて、科学を専門としない人たちにも関心を持ってもらえるよう記事づくりを工夫します。そんなとき編集者の注文はこうです。
一般の主婦の方々にとっつきやすくする(注)ために、内容は科学のことであっても「科学」ということばは使わないでください。「科学」と聞いただけで引いてしまう(そのベージを読むことをやめてしまう)人がけっこういますから。これは、わたしにとってはむずかしい注文であることが多いのですが、編集者の言うことは、一般の人に対する情報発信の心構えとして、現時点では適切と言うほかありません。「科学」ということばを使うか否かが大きな問題なのではありません。読者である「一般の人たち」も、発信する側である「編集者」も、科学に対して距離を感じているということであり、それは、現在の「科学技術」と「それを使う人たち」の関係を象徴しています。作る側、発信する側は、当然その内容を熟知し将来の方向性を提案しますが、それを使う側の人は与えられたものを十分に理解せず「買う」という行動だけで受け入れていると言いかえられます。
(中略)
技術、そして科学技術は、その時代に生きている人々によって求められ発展してきたものであるはずですから、わたしたちはそれらの科学技術を使う主人公です。しかし、はたしてわたしたちの科学技術に対する理解は、科学の発展とともに進んでいるでしょうか…
たとえば、あなたの周りで、「科学はむずかしいから」と決めつけて、苦手だと思っている人はいませんか。あなた自身はどうでしょう。科学的理論と実用化のレベルが複雑で高度なために、一握りの人たちにしかわからないむずかしいものになってしまっているのは事実です。
専門家や技術者が作り出したものを、マニュアルの通りに使うことさえできれば、そのしくみなどを知る必要はない、という人もいるかもしれません。しかし、そのような使い方では、供給する側から示された技術の「良い部分」しか見えません。科学技術を提供する側からは「良い部分」しか聞かれないのだとしたら…それらを使う主人公であるわたしたちは、与えられる情報だけではなく、科学的背景やしくみを少しでも知った上で、生活の中に取り入れるか、取り入れないのかを判断することが必要です。
良いこと(ベネフィット)も悪いこと(リスク)も考えながら科学技術とつきあっていく、その第一歩は、「知ること」です。
(佐倉純/古田ゆかり/リビング・サイエンス・ラボ「おはようからおやすみまでの科学」による)
(注)とっつきやすくする:ここでは、受け入れられやすくする
- 注文:先方にこちらの希望を示すこと。また、その条件。
- 心構え:物事に対処するための心の準備や覚悟。
- 言い換える:前に言ったことを別の言い方で言う。
- 決めつける:一方的に断定する。